リオネル・アンドレス・メッシ

 ぼくは、今の仕事を始めて、先月(9/16)で、丸7年になった。今は8年目に突入したところ。
 こんなに続いた仕事は初めてだけれど、そういう「今の仕事について」思うところは、また別に書くとして、この7年の間、いや、とくに去年の夏から、職場自体にとっても、ぼくにとってもけっこう根源的なところを試される仕事が続いて、この春からは少し落ち着いてきたけれど、ともかく、行政の人(平たく言うと「公務員」)を相手にすることがずーっと続いて、ぼくがいつも窓口(矢面、ともいう)になってたから、すごく勉強になった。
 ともかく、結論を急いだり、正面切っての「話し合い」をしたり、Aだという事実を、「Aだ」というのではなく、「Bでもなく、Cでもなく、Dでもない、あるいはFでもない」というような、ともかく「A」という答えを“醸し出す”話し方をしなければいけない。いけなくはないのだけど、「これってAですよね」という言い方を嫌う。角が立たないように(でも、これって、行政の世界っていうんじゃなく、少し前までの日本社会の合意形成の仕方を公務員が象徴してる、もしかしたら日本文化を守ってる、ただそれだけなのかもしれない)。誰からの批判も受けないように。
 そういう、くだらない(と、ぼくは思う)技を磨いた。
 ただ、最近、ずっと困り果てているのは、おそらく、そういう公務員の世界からすら弾き飛ばされたとしか思えない人がいる、ある独立行政法人の担当者と話していて、ほんとうに話が通じない、聞いてくれない、聞こうとしない。自分の言いたいことだけ言って、ガチャン、って、ほんとにすごい音が耳元で聞こえるぐらいな電話の切り方をする。そして、もちろん、忙しいのかもしれないけど、ぜったいに直接会って協議させてくれない。
 でも、ぼくは、来週からも、やってくけどね。本格的に。
 しんどいけど、そういう人に、どうすれば話を聞いてもらえるか、聞かせられるか、挑戦する価値はある。
 そのためには、滅私だ。
 そう、簡単に言うなら、ぼくは、滅私を学んできた、学んでいるのだね、この社会で。ぼくみたいな人間は、滅私するぐらいでちょうどバランスがいいのだね、たぶん。
 ぼくは、いつもサッカーのうまい彼の名前、彼の活躍を見聞きする度、妙にビクっとする。