誕生エピローグ
ただ、もしかして、Cがほんとうに辛い時間を過ごしたのは、この後の長い、50分(4:40〜5:30)だったかもしれない。
「するり」と出てきたように見えた五部林が、実はCの会陰をえらく避けさせてしまい(36週から始めようとしていた「会陰マッサージ」を、出血のため、する機会が1回しかなかった)、院長先生もS先生も、その縫合でとても手間取った。院長先生は「こんなに切れてしまったお産は久方ぶりだ」と何度も言っていたけれど、その縫合も、助産院だから麻酔を使うこともできないし、Cは、ぼくには「釣り針」にしか見えなかった針で何度も何度も縫われ、その糸が無くなった後は、金具(ホッチキス)みたいなもので、皮膚を綴じられていた。ほんとうに痛そうだった。そして、その間も、五部林は、羊水や体液にまみれたまま、Cの腕の中にいた。ほとんど泣くこともなく。
5:26、五部林は、初めてCの母乳を飲んだ。そして、5:27、宝塚辺りを走ってこちらに向かっていた、Cのご両親に電話して、ぼく→Cが報告。
五部林が、体をきれいに洗ってもらい、体重(2,428g)、そして身長(44.5cm)を計ってもらえたのは、ちょうど、Cのご両親が到着した6時前のころ。出産からすでに2時間。
その後、Cも体を拭いてもらって、ちょうど7時、五部林とご両親と、これから5日間過ごす和室(4畳半ほど)に入って、すでに点いていたテレビ(「めざましテレビ」)で放送されていたトップニュースは、もちろん、福島原発関連の何かだったと思う(ぼくは、すぐにテレビを切った)。
とりあえず、今日はこの辺りまで。