インターネットという夢

 明日は、休み。
 朝から、母といっしょに祖母のグループホームまで行く予定。
 母は月に2、3度祖母に会いに行ってたから、ちょっとの間、会えなくなることの報告をしに行きたいらしい。認知症で、ほとんど何もわからなくなっているようである祖母も、きっとわかってくれると思う。
 昨日、母は「おばあちゃんより、先に死んだらあかんな。それは親不孝の極みやもんな」と言っていたことを思い出す。
 明日の午後は、母の友人が会いにくるらしい。さっき、母から電話があった。「手術が終わって落ち着くまでは誰にも連絡せんとこ、って思てたけど、今朝、○○さんにだけメールしちゃってん。そしたら、『今日は夜勤やから行かれへんけど、明日、仕事終わったらすぐ行く』って、ギャンギャン泣きながら言うてくれた」と。
 母もきっと、ぼくだけじゃなくて、そのいろんな思いを、誰かに話したいんだと思うし、ぼくもそうする必要があると思う。ほんとうにありがとう、○○さん。

 それに、もともと明日の午後は、母念願のインターネット回線(光)工事が予定されていた。
 母は、あと数日後に入院するんだから、ほんとなら工事を延期してもよかったはずなのに「その予定だけは変更したくない」と言った。
 そのインターネット工事が、母の夢、とまで言うと大袈裟だけど、ある意味、定年後の新しい生活の象徴でもあったのだと思う。新しいパソコンとともに。そして、もちろん、これから、月に何回か泊まることになるであろう、ぼくのことも気遣ってくれてだと思う。
 明日から数日間、ぼくは、ケータイか、母宅からこの日手紙を書くことになると思う。
 せっかく開通した母宅のネット回線をぼくが最初に使うというのは、とてもかなしいけれど。パソコンもそうだ。