O荘まで 〜1月18日(火)のこと(2)〜

 そういうわけで、8年ぶりに東京の道路を運転することになって、まず最初に向かったのは、東京在住時代最後に勤めていた、四谷にあるA社。もう潰れているかとおもったけど、きちんとまだ看板も掲げられていて、ぼくの部署は地下にあったのだけど、通り過ぎる瞬間、地下を見たら、誰かが社長のベンツを磨く姿があった。それを、8年前、ぼくもやっていたので、とてもドキリとして、その当時のモヤモヤがすごくよみがえってきて、吐き気がした。
 Cは、ぼくがそういった大きな(建物がただ3Fだか、4Fだかあるだけだけど)会社に勤めていたことがあったことにとても驚いていた。
 それから、甲州街道を西へ、西へ。

 その日はまず、三鷹に住むCの大学時代の友人Kちゃん(Cもぼくも、ぼくらの2年半前の結婚式以来あっていなかった)に会うことになっていて(それ以外の予定はなかった)、途中で朝食を摂るのに、環八を右折し、ガスト高井戸店に入って、モーニング。購読キャンペーンか何かで、読売新聞の朝刊が全席に置いてあったのに驚いた。
 ガストから出て、このままいくと、Kちゃんとの待ち合わせ時間よりかなりはやく着いてしまうので、途中、井の頭通りを左折し、日本年金機構の本部を見て、おー、と思ったりしながら、吉祥寺を通り過ぎたり、ほんとは行きたかった、三鷹の森ジブリ美術館(火曜定休だった)の前を通ったり、そして、ぼくが、社会人として初めて生活を始めた、三鷹駅南口より徒歩数分の、上連雀にあるO荘まで行ってみた。いくつもの南北の筋が通っているので、なかなかたどり着けなったけれど、近くまで来たらすぐにわかって、しばらくその前に車を停めて、ぼくの部屋を見上げたりしていた。
 この部屋に住んでいたのは、大学卒業後の2000年4月〜2002年2月までで、ぼくが、初めてweb上で日手紙(ポストとポトスのトポス、2000年12月〜2004年4月)を書き始めた頃だ。当時は、まだブログ、なんていうことばもなかったと思うし、もちろん、ダイヤルアップ接続。卒業前に購入したiMacで、履歴書ばかり書いていたような気がする。楽しいこともあったけど、基本、ものすごく混沌とした時期だった。最終的には、あんまり理由がはっきりしないまま、大家さんから「引越し代もすべて出すから、出て行ってくれ」と言われ、南阿佐ヶ谷に越すことになるのだけど。