母が逝った夜→朝のこと
母が逝ってしまった夜、6/11の22時すぎ、母が息を引き取る前に「もう朝までもたないかもしれません」と訪問看護師の人に言われ、急いで「この人たちだけに知らせてほしい」と母が生前つねづね言っていた母の親しかった友人たちに3名に電話し、その後すぐ母は息を引き、23時すぎに在宅医の人が来て、母の死が現実のものとなり、そして母が生前「おばちゃんには知らせるな」と言っていた伯母(母の姉)に電話し、その後、さらに数人の訪問看護師さんが来てくれて、ぼくとCでいっしょに母がお気に入りの、母が織った「さをり織り*1」の服に着替えさせ、看護師さんの手によって、綿がすごい量で耳やら鼻やら喉やらに詰められ、そうしているうちに、母の友人たちがちらほらとやって来て、なんだかんだとワーワーあった後、日が明けた6/12の午前1時だったか、2時だったかに、「さて、(通夜とかお葬式とか)なんにもしないとはいえ、葬儀社に来てもらわないとな」ということになり、ぼくはタウンページを開いて、落ち着いていたのかどうかわからないけれど、変に代金をふっかけられるのはいやだし、母の意に沿っていないと思い、タウンページに掲載されていたNPO「葬儀社総合案内センター」に電話し、近くの良心的な葬儀社を紹介してもらい、その結果、お世話になることになったのが、関井葬儀社で、電話したら、ぼくと同い年(これは後からわかったことだ)のKさん(ある有名な英語がうまいDJと同姓同名*2)につながり、「最低限のなにもしないものをお願いします」と念を押して、それが高いんだか安いんだか、相場なんだかよくわからないけれど、とにかく、大量のドライアイスと棺と車と火葬と骨壷(大小2つ)で、約20万近くかかり、それ以外は一切請求しませんということで、了承し、Kさんが来てくれたのは、もう午前3時をすぎていた。
翌朝、Cのご両親が朝6時に太子町(兵庫県揖保郡)から来てくれたのは嬉しかった(けど、正直もう少し寝ていたかった)。それからぼくは、数時間前に、葬儀社のKさんが行ってくれるというのを断って自分で死亡届を守口市役所に提出しに行き(それぐらいはできるし、したい。料金から引かれないとしても。でも、母の死の直後に、市役所の職員の荒い対応は、少々キツイものがあった)、鶴見区の自宅にぼくとCの礼服やらを取りに帰ったり、職場に連絡したりした。そのときに、母のデジカメで撮った写真、母が大好きだった、母の車(ダイハツ・タント)、母宅近くの緑。ホワイトバランスがうまくいかない写真だった。


