結婚×本×読書

 あとね、これは、個人的な話ではあるけれども、ぼくは、やっぱり、結婚前後で、ずいぶん、物語(小説)に接する姿勢がガラッと変わって、それは、傍から見ればシアワセなことであるかもしれないけど、逆に、ずっとそれに依存してきた身としては、ほんとうに、このCと同居してからの3ヶ月と少しの間、本も読めず、もちろん、「何か」をほとんど「書く」こともなく、過ごした時間というのは、ある面からすれば拷問でしかなく、いや、でももう一方からすれば、「読む」や「書く」=「読書」に嵌るしかなかった時間を、生(ナマ)の人=同居人=妻=Cとのやりとりに費やす日々(時間)になったということは、「この上ないしあわせ」と思うべき、かとも思いつつ、ただ、実感と伴わない「べき」論は、いつだってすぐ壊れやすくてあやふやで、ぼくらは「幸福」を、もちろん「条件」が満たされた数で実感するわけでもなく、それは、とっても、微妙なところだ。
 でも、ただ、言えるのは、C(妻)に対する文句(みたいなもの)は、ちょくちょくいろんな場所で言えるものの、この【結婚×本】、【結婚×読書】については、言い草が「整備されていない」というか、未知であり、すごくしんどい。ぼくは、ほんとに誰か他人(ひと)がいるところで、本(小説はとくに)が読めない。

 さみしいけれど、恥ずかしいけれど「生活」が精一杯。
 Cの期待に応える、応えなければならない「生活」が精一杯。
 いや、たぶん、ほんとうは、こんなのじゃ、とうてい長くは持たないことはよくわかってるんだけど。