バトン

 母とはその時点で別れ(帰りの2時間以上の運転がちょっと心配ではあったものの)、ぼくとC、Cのご両親の4人で、Cのお父さん側のご先祖様が眠る神戸市立鵯越墓園まで。途中、六甲山の山道で、お墓に御供えするススキを獲って。
 今日は「彼岸の入り」でもあったし、ぼくも一度、ご先祖様にご挨拶しておきたかった。
 ぼくが、タワシでお墓をきれいに磨き、CとCのお母さんは草抜き、お父さんは植木の植え替えなどして、お参り。
 自分でもおもしろいのだけど、Cとのケツコン、そして母の病気、ということがあって以来、ぼくは、最近、こういうご先祖様とか、お墓とか、以前なら放置、いや、もっというなら目を背けていた「かぞく」的つながりみたいなものが、まったく苦じゃなくなってる。むしろ、積極的に関わっていきたいぐらいになってる。改心、とか、そういうのではない、なにか、こう、嬉しい感じがする。
 あえて言うなら、生命(いのち)の、というと大袈裟だけれど、その種の「バトン」を受けとる気がしてきた、受けとりたい、と、あの、北京オリンピックでも、リレーの勝負の分かれ際になった、個々人の能力よりもバトンの受け渡しがうまくいかないと勝てない(そこで優れていた日本が入賞した)「助走区間」を加速しだした、という感じ。
 Cのお父さんのご先祖さまには「ぼくをよろしくお願いします、ぼくとCの生活を見守っててください、母の病気を治してください、Cのお父さん、お母さんのご健康をよろしくお願いします、ぼくの先祖とも仲良くやってください、職場の子ども達も見守ってやっててください、ぼくの大好きな人たちに不幸が舞い込みませんように」…など、目一杯お祈りしておいた。
 その後、回転寿司「かっぱ寿司」(神戸菊水町店)で夕食を御馳走になり、JR神戸駅でぼくとCを下ろしてもらい、Cのご両親と別れる。今度、お会いするのは、ちょうど来週、9/27、Cの引越しのときだ。
 ぼくとCは神戸駅近くの喫茶店でお茶し、20時すぎ、Cは阪急電車直通の地下鉄へ、ぼくはJRへ。