祖母だけが知らない

 それから、ぼくらは、去年の10月、もうすでに人手に渡ってしまった*1、同じ寝屋川市内にある、ぼくが生まれてから18年間育った実家(のあった場所)に向かった。
 ぼくは、その売却手続きの際、仮退院中だった母に付き添って銀行に行き、すぐに家は解体することや、そして、すぐに新しい家を建てることを不動産屋から聞いていたけれど、たぶん、自分が18年間育った実家が解体されているところや、解体され更地になっているところ、それから、新しい家が建ち、新しい人がそこに住んでいるのを目にすると、かなり辛い思いをしなければいけないことがわかっていたので、売却してからそろそろ1年になるけれど、この日までどうしても足が向かなかった。
 でも、この日は、Cとのケツコン、そして、祖母のこと、そして母のこともあり、どうしても見ておかなければならないような気がして、勇気が必要だったけれど、アクセルを踏み、あっという間に、その場所に到着した。
 そうして、ぼくの目に見えた光景は、もうまるで、ぼくがそこに18年間生活していたり、その後も、祖母と母が暮らし、6、7年前、母が(伯母がその家に引越して来て祖母の面倒を見てくれるという約束のもと)その家を出て、結局、伯母はそこに引越すことはなく、しばらく祖母がひとりで暮らし、その後すぐに、母にもぼくにも黙って祖母をグループホームに入所させ、誰も暮らすことのなかった計16年間という時間、そこにぼくらの家が建っていたことなんか、まるでそんなことは現実ではなかったように、新しいイマドキの家がそこに建てられており、子ども用の自転車が置いてあったりして、そこにはまったく別の新しい家族が住んでいた。
 ぼくは、ぼくの実家(のあった場所)の前に車を停め、しばらくその3階建て(ぼくの実家は2階建てだった)の家を見上げ、ケータイでその家の写真を1枚撮った。それほどなにも感情が動かなかった。少し頭を過ったのは、その前に会ってきた祖母のことで、34年前、祖母がぼくと母と父のために建ててくれた家なのに、祖母だけが、自分が汗水垂らして購入したその家が無くなったことを知らず、そしてそこに新しい家が建ち、新しい家族が住んでいることを知らないというのは、あまりにも残酷だし、でも、逆にいえば、それは知らなくて良いことなのかもしれないとも思った。そして、グループホームの祖母の部屋には、解体され新しい家が建つ前の古い、ぼくと母と祖母が暮らしていた家の写真が貼ってあったのを思い出した。
 その後、ぼくは、お向かいに住む、祖母も母も働いており帰りが遅かった幼いころのぼくの面倒をずっと見てくれてたHさんの家を訪ねたけれど留守だったので、ちょっとしたメモに「ケツコンしたこと」と「また来ます」、そして連絡先を書いた手紙をドアに挟んでおいた。
 実は、Hさんには、ぜひケツコン式に出席してほしい、と思っていたから、以前から何度か電話をしたし、手紙も書いたのだけど、いっこうに連絡がなく心配していたのだけど、Hさん宅の玄関の様子を見ると、ポストに手紙が溜まっているわけでもなく、きちんと整理されていたので、とりあえずHさんが元気なのだろうということはわかったので、安心した。
 そして、ぼくらは、午前中、時間がなくて部屋の寸法が測れなかった新居に再度向かった。

*1:http://d.hatena.ne.jp/subekaraku/20071026