形骸化してしまうもの

 ぼくも、この仕事に就いて、もう少しで4年。まだ4年。
 そして、2004年9月から働き始め、その10月にすぐ大阪府の「監査」があり、最初はほんとに「監査」というものが全くわからず、ただ、その日はそこにいただけだった。それから、これまで3度、監査を受けたことになるから、経験としては上のMさんと同じような感じで、そして、まさに行政が行う「監査」の感想もMさんとほぼ同じようなものだ。
 もちろん、ぼくは事務員として、経理担当(出納職員)として、書類の大事さもわかっているつもりだし、本来であれば、行政の担当者は、そこにつくられてある書類を見れば「〈福祉〉の部分」(ケアの中身)まで見通せるものだろうし、そうあるべきだと思うけど、Mさんの言うとおり「〈福祉〉の部分」は、この4年の間、何人もの監査担当者が来園してきたけれど、ほとんど見てもらったことはない。
 そして、公務員の良いところでもあり、仕方ないところでもあるのだろうけど、人事異動が3、4年に一度は行われるから、仮に「書類を見れば『〈福祉〉の部分』(ケアの中身)まで見通せる」力がついてきつつある人が、どんどんいなくなってしまう。
 そうなると、それが世の常、人の常で、なにもかもが儀式化というのか、定型化というのか、形式化というのか、形骸化というのか、なんというのだろう、つまりは、事業者側とすれば「書類さえ揃えておけば、なんとかなる」という気になるし、行政側も「書類さえ揃えてある法人・施設なら、ま、たぶん大丈夫だろう」ということになり、本来、社会福祉法等が定めている大切な理念が、単なるルーチンワークにスポイルされてしまう。

 このMさんの発言は、一見すると、「情報公開」という今日の意見交換会の主旨とは少しズレていたように思われるが、いや、でも、たぶん、もっともこの部分が大事で、行政側も事業者側も、改めてなんのための「監査」か? ということを考えてみる必要がある。
 少なくとも、ぼくは、このMさんの発言によって、ほんとに「ハッ」とした。

 午後、帰園して、雑務。
 毎日、午後3時半前後に、特別支援学校から帰ってくる子ども達を、朝と同じ送迎バスのバス停まで迎えに
行くのだけど、何日か前から、この1日でいちばん暑い時間に迎えに行くのが、ほんとうに暑くて辛くなってきた。3〜40分、外に立ち続けているだけで、もう帰ってきたらフラフラする。帽子が必要だ。