ぼくは、そう述べる母の横に座っていて、反論したい気分にも多々なったけれど、実際に反論するのは止した。
 なぜなら、反論したいと思ったのは、ぼくが「“ふつう”に憧れている」という点で、ぼくはそんなこと露程も思っていない。でも、それは、もしかしたら、なにか、核心的な部分で的を得ており、「“ふつう”に憧れている」というような言い方でさえなければ、たぶん、おそらく、ぼくにとって正しい(と思える)こと、ぼくが今挑戦しようとしている何かに近いことを母が理解してくれているのかもしれない、と思ったからであり、何より、ぼくに対する思いの強さを感じたからで、発言内容云々というよりは、それに感謝したいという気持ちの方が大きかった。