全体権威主義

 でも逆に、ぼくはまたこうも思っていて、ワークショップ2日目の夜の帰り、日手紙の本家にケータイから更新したのは、「全体権威主義」というタイトルの短い内容で、

川上さんのワークショップを経験して自覚したのは、ぼくは、ものすごい「全体主義者」であり、「権威主義者」であるということ。要は、さみしがり屋だ、っつーことね。そんなことを2日間、京都を往復して確認して、どうするん、自分。シャイネス。?。

 と書いた。
「全体主義者」っていうのは、ぼくは上で書いたように「ひとりの人に伝わればいい」と思っていても、別にぼくが言ったり、書いたりしたことじゃなくてもいいわけなんだけど、ぼくが「善い」と思うことは、やっぱり他の人にも「善い」と思ってほしいと思うし、何人か集まっていて、そこにひとりでも楽しくない・楽しくなさそうな人がいれば、ぼくはなんとか楽しくなってほしいとも思ったりするということ。
 それから「権威主義者」っていうのは、川上さんから出された「課題」のなかに、注意書きというか、気を留めておいて欲しいことぐらいな感じで、その「課題」提出の際は「字数は制限しませんが、A4一枚に納めてください」みたいなことが書かれてあって、昨日の日手紙を見ればわかると思うけど、あの分量を「A4一枚に納め」るのは、かなりの読みづらさを伴うものだとは思ったけど、ぼくは苦労して、なんとか字を小さくしたり、行間を狭めたり、改行をなくしたりして、「A4一枚に納め」た。
 でも、合評の際に選ばれた作品のなかに、かなりデカい字で、かなり行間も広くとって、改行もどんどんしてあって、たぶん文字数からいえば、ぼくの4分の1ぐらいの量なのに、「A4二枚」になってた作品があった。
 つまり、ぼくは、規範や道徳や権威に弱いのだ、と、その作品を見せられたときつくづくそう思った。規範や道徳を知らない分野では好き勝手やってしまうし、かなり他の人から驚かれるような言動をとったりもするのだけど、知っている場や知っている人だと、ぼくは無意識にそれを守ってしまうし、守らなければならないと思ってしまうし、勝負するのなら同じ土俵に立たないと卑怯だとも思ってしまう。
 そういう自分がとても窮屈に思えて嫌だった。

 あー、今日こそはこれから文校(大阪文学学校)で合評する2作品を読み、なおかつ作品を書かなきゃ。
 でも、ちょっと作品書いて提出するのは、もう無理そう。郵送でみんなに送らせてもらうことにしようかな。

 今日も疲れた。