全部手紙

 昨日、ぼくは、<ぼく語>は「手紙(文)」だ、とか、「ぼくのぼく足る所以は『手紙』なのだと思ってる」と書いたけど、その話で思い出したのは、後半、若干嫌な気分にさせたかもしれないОくんと話しているとき、Оくんがぼくの書いたものを6つの作品のなかからすぐ当てて、そのときに、言ったのは「ぼくは、あんまり多くの人に自分の思いを伝えたいとは思わない。自分が伝えたい人に伝えたいだけかもしれない。ただ、それが結果的に多くの人に伝われば、それはとてもラッキーで、かなり嬉しいけど」みたいなことだった。
 自分が伝えたいと思ってる人に伝わらなくて、なにが「ことば」か、とは、やっぱり思う。
 そして、たったひとりでも、自分の伝えたいことを伝えるのはとても難しい、とも、やっぱり思う。
 だから、「手紙」なのだ、ぼくにとっては。
 論文であろうと、小説であろうと、今日ひたすら時間をかけていた行政に向けてのアンケートであっても、とりあえず文字を遣って誰かに何かを伝えるという手段は、なんらかの意味で「手紙」なのだと思う。
 だから、このブログも「日記」じゃなくて日記+手紙の「日手紙」というタイトルにしたんだった。改めて、思い出した。