村上春樹問題

 14時、川上さん登場。
 前日のモワモワした黒い服とはうって変わって、白いブラウス(レースみたいなのはヒラヒラしてた)で。
 2日目のワークショップは、ぼくも含めて参加者が書いたその「課題」のなかからピックアップしたものを、みんなで読み合わせ(合評)することがメインだったのだけど、40名超もいる参加者の「課題」を、おそらく川上さんは、その日の午前中だか午後からの2時間でどんどか読まなきゃいけなかったわけで、ちょっとお疲れな感じが伺えた。

 ワークショップ開始後、「課題」の合評をする前に、川上さんから話があったのは、前日、留保されていた「作家のヴォイス」問題だった。
 まずそれを、川上さんは昨今の「ケータイ小説」ブームから話し始め、最終的には「村上春樹問題」に進んだ。
 それはつまり、「ケータイ小説」然り、「村上春樹の作品は、なぜこんなにも多くの人に読まれているのか?」ということで、まず、川上さんが参加者に「村上春樹の作品が好きな人いますか?」と訊いたら、ぼくも含めて(でも「好き」っていうのとは少し違うんだけどもなぁ)わりと多くの人の手が挙がり、「じゃあ逆に嫌いだ、苦手だという人いますか?」と訊いたら、「好きな人」よりは少なかったけれど、少なくともぼくの予想以上にはいて、ぼくは、「あぁ、やっぱりそうなんだ」と思いつつ、それから川上さんは「じゃあなんで、村上春樹さんの作品は、とりあえずたくさん読まれていると思いますか?(好きな理由はなんですか?)」と質問されて、あるひとりの若い感じの男性(前日に、「なぜこのワークショップに来たのか?」という質問に「友だちに誘われたから」と答えた人だった)が(あまりよく覚えていないけれど)「(村上春樹の小説の)良い/悪い、かっこいい/かっこ悪いは別にしても、その<スタイル>が気になる」というような答えをした。

 そして、その後、挙手して、ぼくが言ったのは「ぼくは、彼の作品を最初に読んだのは中学生のころで、『ノルウェイの森』だったんですけど、それは当時のぼくにとっては“エロ小説”であり、すごく刺激的で、その後、“エロ”を求めつつ、彼の作品をどんどん読んでいくと、書かれてあることはそうではない内容がほとんどで、もっといろんな感想を持つようになったわけです。そして、最近、『主人公と同じ年齢だから』という理由で、18、9のときに一度読んだ『ダンス・ダンス・ダンス』を読みかしてみると、15年ぐらい前に読んだ感想とは全然違う感想をもって、すごく驚いてしまったということがあったんです(その詳細はこちら前後の日手紙を参照してください)。そういうわけで思ったのは、“エロ小説”とも読める、また(ぼくにとって)読むたびにこれほど違う感想をもてる作品を書く作家はそんなにいない、というわけで、つまり彼の作品は、どこでもいつでも読んでいて何かしらのことを思えるという<普遍性>があるんじゃないか、だから、多くの人に読まれてるんじゃないかと思います」というような模範解答をしてみたのだった。
 川上さんは、「村上春樹の作品は、なぜこんなにも多くの人に読まれているのか?」という理由に、ぼくら参加者が挙げた、そういった<スタイル>や<普遍性>などがあることを認めたうえで、渡部直己村上春樹の小説を「天皇小説」(『不敬文学論序説』など)と言っていたりすることを紹介しながら、以下のような図をホワイトボードに書いた。

作家のヴォイス

 左側が、小説とかことばの分野のことで、斜線から右側が、それを音楽(歌)で例えた場合ということなのだけど、要は、小説や文章などにおける「文体」は、なんとかいろいろ試行錯誤できたりはするが、音楽(歌)でいうところの声質は、どうしたって変えられない、つまり、それが川上さんの言う「作家のヴォイス」というもので、そのときだったか、もっと後だったかに川上さんが言ったのは、その「作家のヴォイス」というのは、

「自分が何を書きたいか? ではなく、何を書かなければならないか? 書かずにいられないものは何か? ということが大事だ」

ということと、通じてくるのだと思うけど、つまりはそれがある/ないが読まれる作品かそうでない作品かを分ける分岐点であり、そこからいうと、村上春樹の「作家のヴォイス」には、普遍性があり、多くの人に読まれるんじゃないか、そして、そもそも自分の「作家のヴォイス」をきちんと見つけられるかどうか、もし、見つかれば、それはたいてい多くの人に通じるんじゃないか、というのが、川上さんの分析だった。

 ぼくは、その川上さんの分析(?)を聞いて、けっこう、ストン、と納得がいった。単純だから。
 ただ、ぼくが少し気に入らないというか、もう少し考えたいと思ったのは、川上さんはわりと、何かを説明するときに「ノーチョイス」とか「シャイネス」とか、英語名詞を遣うのだけど、ここでも「ヴォイス」という単語を遣っており、それをきちんと日本語で表せたりはしないのだろうか、とは思った。
 それに、その「作家のヴォイス」は、たぶん「文体」と断絶している別個のものではなく、「文体」→「作家のヴォイス」、その逆、それから「文体」←→「作家のヴォイス」というような辺りの「運動」(この「運動」というのも川上さんが好んで遣うことばだった)の話も、もう少し掘り下げて訊いてみたかったように思う。
 それからあと、「村上春樹問題」からいえば、ぼくが、先日、東京から来たNくんや荻原魚雷さんとやってしまって迷惑をかけた〈ハルキ論争〉(どうして、本好きの間では、(読んでもいないのに)村上春樹否定派があんなに多いのか?)のことも、まだ依然として、ぼくのなかには残っている。それは銀色夏生問題でもあるし、相田みつを問題でもあるし、もしかしたら「ケータイ小説」問題でもあるのかもしれない。
 問題、問題、って、それがなんで「問題」なのか、まったくわからない人にはわからないだろうし、「問題」という言い方をぼくはあんまり好まない(「障害者『問題』」とか、「差別『問題』」とかを連想させるし、その「考えたいこと」みたいなのを「問題」と名づけることによって、なんだかそれを他人事、あるいは対象化してしまう作用がある気がしているから)けど、あえて。

不敬文学論序説 (ちくま学芸文庫)

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ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

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ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

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ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

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ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

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