入試問題のように
今日は、今期、初めての授業であるので、誰かの作品を合評するのではなく、高畠チューター(講師)が用意された「言葉の力、および言葉の可能性と不可能性について」という文章の読み合わせをした。
あまりにも有名すぎるジャン=ポール・サルトル の「死んでゆく子供を前にして、『嘔吐』はなんの意味もない」(1964年)ということばから、その「言葉の力、および言葉の可能性と不可能性」を考えてゆく、という、おそらく高畠チューター自身が以前に書いた文章を、チューター自身が読み、解説するというもので、ここでいうサルトル の『嘔吐』という作品=「文学」と言い換えてもいいのかもしれないけれど、細かいことを言わせてもらうなら、ぼくは、そもそもこの文章自体が、大前提として「文学」と「言葉」を混在してしまっているし、「言葉」についてはまだしも、じゃあそもそも「文学」とは? という定義があやふやなことが気になってしかたがなかったけど、その文章で書かれていることは、田中克彦やモーリス・ブランショの引用にすぎない(現に文中にそう書いてあった)と思ったら、別にそれを書いた高畠さんにとやかく言う必要もないし、これは単に高畠さんの「解釈」にすぎないのだからと、ぼく自ら何も発言することもないか、と、ともかく「現国」の入試問題を読むように、言いたいことは山ほどあったけど、初出席の場でもあるし、止しておいた。