家族っておかしいときのためにある
帰宅して、ぼんやりしていたら、母から「今から住民票持ってそっちへ行こうと思うんだけど、帰ってる?」と、メール。4月から仕事を辞めることを決めた母をぼくの健康保険の扶養に入れようと思っているので、その申請書類の添付資料として「住民票を送って欲しい」ことと「年金受給額がわかる書類があれば嬉しい」と今朝、母にメールしておいた。わざわざ持ってきてくれるとは。
母が来るまで、NHK「福祉ネットワーク」で放送されてた「この人と福祉を語ろう 漫画家・西原理恵子 家族が“アルコール依存症”になったとき」を見る。去年、ガンで亡くなった「パートナー」の鴨志田穣(ゆたか)さんとのアルコール依存症との日々を語る西原さん。インタビューする町永俊雄アナ(けっこう好き)が西原節にタジタジなのがおもしろかった。
印象に残ったのは「家族の中の問題には誰も介入できない」、「家族って(家族のなかの誰かが)おかしいときのためにある」という西原さんのことば。確かに、そうなんだな。行政や民間の相談期間、いわゆる「福祉」機関ってのは、その質はそれぞれの団体や構成する人々によって天地の差があり、とてもよく「援助」あるいは「支援」してくれる場や人がいるのはもちろんなんだけど、残念ながら、最終的には「家族の中の問題には誰も介入できない」だと思うし、だからこそ「家族っておかしいときのためにある」のだと思う。もちろん、その渦中にあるときは、そんな余裕めいた箴言は口に出てはこないのだけど。