スイッチの問題
会の後、「おまえは、まるくなった」って、言われた。ぼくは、そもそもトンガっていたのだろうか。それとも、それは、オトナ社会へ馴染んできた、ってことだろうか。それは嬉しいようでもあり、かなしいようでもあり。たしかに今日も「無私」の精神で動いた。たぶん、それでも不満な人は不満に思うだろう的に。
むかし、現国の受験問題か何かで元新聞記者(たしか読売新聞だったかの)森本哲郎『「私(わたし)」のいる文章』の一節を読み、当時のぼくは逆に「私<わたし>いない文章」なんてあり得るのだろうか「不幸だな、新聞記者」とか思ったものだし、そもそも、たぶん、オトナだとか言われる多くの人は私<わたし>がいる/いないとか、そういう「不必要なこと」は考えないのが前提としてあるのだろうし、でも、そういうことは理解しつつあるうえでも、ぼくは、やはり、私<わたし>、というより、ぼく<僕>のon、offのスイッチは持ち続けたい。むかしは「on」だらけで、でも、今はoffがあってこそのonだと、そのスイッチが大事なんだと思えるぐらいにはなった。そして、offでいることは、コツさえつかめば、そう難しいことでもない。
ずっと森本哲郎『「私(わたし)」のいる文章』のことなんて忘れていたけれど、今夜、「おまえは、まるくなった」って言われた瞬間、ビリッと思い出した。そして、森本さんが投げかけたそれは、ぼくの抱えている何かにつながっている。ずっとこれまでも、きっとこれからも。

- 作者: 森本哲郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1988/12
- メディア: 文庫
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