玄関を出るまでに味わっているもの

昨日、読み始めて「ダークサイド。けっこう好きな感じの」と思った、今期、「切れた鎖」(「新潮12月号」所収)という作品で、2度目の芥川賞候補になっている田中慎弥図書準備室』を読了。
 ここには、表題作「図書準備室」と、新潮新人賞を受賞した「冷たい水の羊」が併録されていて、昨日、「図書準備室」を途中まで読んで、「ダークサイド。けっこう好きな感じの」と思ったのだけれど、後半の「冷たい水の羊」は、より良かった。
 簡単にいえば、「図書準備室」はニート(30代)の、「冷たい水の羊」はいじめられっ子(中学生)の話で、モチーフとしては決して新しくも突飛でもない。けれど、ぼくは、両作を通じての作者の自意識について「執拗」とでも言えるような文体と、同性としての男性性エロス(を虐待すること)に向けられる視線に表れる「暗部」へのこだわり、さらに「中学生男子」という存在への固執が気になった。
「図書準備室」は、自らの祖父の法要の場で語られる、自らが「働かない理由、働けない理由」をひたすら語り尽くすという作品で、その理由というのも、中学校時代に出会った長身教師と「挨拶」ができなかったから
、そして、その長身教師と「目」が合ってしまったから、というもので、これだけ書くと訳がわからないのだけど、そこには、長身教師が戦時中(10代)に犯した罪のようなものが関わってくる。
 ぼくは、この作品を読んだとき、加藤典洋敗戦後論』のなかで言及されていた「語り口の問題」を思い出し、作者にぼくと通じる興味対象があるのではないか? と感じた。長身教師が言う、「戦争は大義でするものだ。リンチに大義があるか。」ということばなどに。
 そして、この作品の方が好感が持てる「冷たい水の羊」は、いじめられっ子中学生(男子)が、片思い+自分に憐れみを寄せる同級生女子を殺して自分も自殺する計画を立てたところから話は始まり、後半、突如として、いじめ加害者男子、憐れむ同級生女子、父、母の描写に移るも、基本的に彼の自意識を中心に話は進む。
 なにがすごいといって、彼がいじめられる現実に諦めながら、同時にいじめられていることによって自分の存在を自覚しながら、自殺、死だけを目的にした、けれど、決して実行はできない、ひたすらの逡巡がいい。
 この逡巡は、ぼくは毎朝起きて、仕事に行くため、玄関を出るまでに味わっているもの(行けない、行きたくない、でも行かなければならない、でも行けない…)と、種類は全く違うけれど、この他人から見ればバカみたいな苦しみを通じて(本人は必死)、主人公の逡巡のどうしようもなさを読みながら思うことができた。
 こういう内容、文体で、暗部・ダークサイドを書く作家、作品に久しぶりに出会えたような気がする。
 両作の舞台であろう、中国地方の海辺の街(おそらく作者の生まれ育った下関)の描写も、その作品の暗部・ダークサイドを引き立たせていた。
 芥川賞候補になっている「切れた鎖」(「新潮12月号」所収)も読みたくなった。

図書準備室

図書準備室


新潮 2007年 12月号 [雑誌]

新潮 2007年 12月号 [雑誌]