伏せた目

 昨夜、3/27から放送開始したBSアニメ夜話スペシャル「とことん!あしたのジョー」をやっと見れた。
 昨夜は「37年目のスペシャル対談 監督・出崎統 VS 漫画家・ちばてつや」ということで、なかなか興味深かったのだけど、印象に残ったのは、以下の対話。詳細は覚えていないので、ぼくの覚えている限りの要約になるけれど、以下、引用。

出崎統:ちばさんの原作にはジョーの「伏せた目」がよく描かれていたんですよね。それはとても印象に残っていて、アニメでも多用させてもらったんですよ。人のために「優しさ」を、人を「思ってるんだよ」ってとき、ジョーは目を伏せる。それは、(目を)開いちゃったら(自分がそれらを注ぐ)相手はいなくなっちゃう(ってことを、ジョーはわかっていた)んですよね。

ちばてつや:ええ。40年経って、なぜ自分が伏せた目ばかり描いていたことにはじめて気づかせてもらいましたよ(笑)。

 ジョーの「伏せた目」については、ぼくも以前から気になってはいたところなんだけど、それってちばてつやの描く人物の「癖」なのかとも思っていて(ちばてつやの他の作品って『あした天気になあれ』ぐらいしか読んだことない)、でも「40年経って」「はじめて」そのことに気づいたってことは、そうじゃないんだな。
 そして、ちばさんは「ぼくは、ジョー以外でも、マンガを描くときは、いつもキャラクターの『日記』を書くように描いているから、そういったことやその絵や話の意味ってことは、いつも後から読者から教えられる」とも言っていて、そういうのって、小説家でも「勝手に登場人物が動き始める」「作者はその登場人物の話に耳を傾けるだけ」とかいうことがあるけれど、「日記」という表現は、新鮮だった。
 それにしても、ジョーの「伏せた目」に対しての出崎さんの解釈は、いいな、と思った。「目を開いたら、優しさや思いを注ぐ相手はいなくなるということを、ジョーはわかっていた」。ジョーの、不幸というか、恵まれない経歴のなかで、初めて訪れた人の優しさやぬくもりや交わり。シアワセに慣れてないと、そういうのが自分には分不相応な気がして、目を伏せる・逸らさずにはいられない、その心境。
 また、出崎さんは「『あしたのジョー』は負ける男(人間)の話であり、読むと、一度もジョーは大事な勝負には勝っていない。負けることをとおして彼の生きざまを読むことによって、読者は彼を別の意味で『勝っ』ているかのように読みとってしまう」とも言っていた。
 そういう意味では、NHKがなぜこの時期に『あしたのジョー』を特集したのか? という意図が少しわかったかも。
 あー、また全巻読み返したくなってきたな。

あしたのジョー(12)<完> (講談社漫画文庫)

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